「此の世の果ての殺人(荒木あかね)」☆そんな世界の終わり

 

世界の終わり、に自分はどうするだろう。

誰と、どんな風に過ごすだろう。

ずっとそんなことを考えながら読んでいた。

 

ラスト数十ページ、なんかずっとうるうるして。

読み終えて本を閉じた瞬間、涙がこぼれた。

どんな感情だったのかわからない。

でも、幸せだったのかな。

あのラストシーンが。

 

世界の終わり、此の世の果てのリアルがハンパない。

福岡在住の私には、馴染み深い地名ばかりで入り易かった。

糸島のカキ小屋まで出て来るとはw

 

しっかりミステリだけど、「面白いミステリ読んだ」より

「すごくいい小説読んだ」感の方が強い。

これデビュー作ですか!?(;'∀')

凄まじいな。

 

世界の終わり、隕石衝突と言えば、

『滅びの前のシャングリラ(凪良ゆう)』を思い出しますが

(これも良かったですねえーー)

視点やアプローチが違うとこんなに違う小説になるんだなーと。

 

『好き勝手すればいいじゃん。最後なんだし』

 

この言葉の重みよね。

この状況で、この小説のラスト近くだからこそだと思ったけど。

惑星が衝突しなくても、世界の終わりじゃなくても、

人生の終わりは必ず来るんだよね。

突然断ち切られることだってある。

 

『好き勝手すればいいじゃん。(この人生最初で)最後なんだし

(そのうち確実に終わるし)』

 

ちょっとこんな風に読み替えたりして。

あんまり後先考えずにとか、人に迷惑かけるとかじゃなければ

それでいいかなって。

日々、後悔のないように。

 

大好きなひとと、きれいな景色を見ながら。

いい音楽を流して、冗談言って笑って。

憧れるのは、そんな世界の終わり。

 

 

【STORY】

第68回江戸川乱歩賞受賞作。
史上最年少、選考委員満場一致。「大新人時代」の超本命!
本格ミステリーの骨法もよく心得ている――綾辻行人
特A、もしくはA+、もしくはAA――月村了衛
二人の女性のバディ感が最高に楽しい――柴田よしき
極限状況で生きてゆくひとが、愛しくなる――新井素子
非日常を日常に落とし込む、その手捌きは実に秀逸である――京極夏彦

―滅びゆく世界に残された、彼女の歪んだ正義と私の希望
正義の消えた街で、悪意の暴走が始まったー
小惑星「テロス」が日本に衝突することが発表され、世界は大混乱に陥った。そんなパニックをよそに、小春は淡々とひとり太宰府で自動車の教習を受け続けている。小さな夢を叶えるために。年末、ある教習車のトランクを開けると、滅多刺しにされた女性の死体を発見する。教官で元刑事のイサガワとともに、地球最後の謎解きを始める――。

 

 

「事件は終わった(降田天)」あの日、あの時間、あの車両に乗らなければ

 

『十二月二十日、十九時二十一分。

都営地下鉄S線の横倉駅から、各駅停車日野原行きの電車が定刻どおりに発車した。

十両編成の車内は、一日の仕事や学業を終えた人々で、どの車両もそこそこに混雑している。

(中略)

のちに〈地下鉄S線内無差別殺傷事件〉と呼称されるできごとである。

事件は終わった。

そして日常が再開される。』(00事件より)

 

これ。マジですごい小説じゃないですか。

降田天(ふるたてん)さん、全部読んでます。大好きです。

これ。今の降田天の最高傑作でいいですよね?

・・・震えが止まらなかった。

 

ミステリ好きだけど(だからか?)、事件ノンフィクションやドキュメンタリーもすごく読む。

時に小説も凌駕してしまうし。

この小説は、事件ノンフィクションとかドキュメンタリーかと何度も錯覚した。

 

たった3分にも満たない時間に起きた地下鉄内無差別殺傷事件。

それは、そこで実際に被害に合った人、何らかの形で関わった人、目撃した人、乗り合わせた人、たまたまその車両に乗らなかった人、動画を見た人。

どんな形であれ、深くも浅くも関わってしまった人(ただ動画を見ただけの人であれ)。

事件は何らかの影響を与えずにおかない。

目には見えなくても、他人には認識されなくても。

自分だけが知る、そして決して誤魔化すことの出来ない深い傷を負う。

それは、ひとの人生というものを多少であれ変えずにいない。

もしかしたら人生すべてをひっくり返されるひともいる。

その傷は、ずっと自分を痛め続ける。少しずつ、少しずつ。

だんだんと。深く深く。そして決して消えない。

「その事件」に関わる前には決して戻れない。

 

『事件は終わった』

そう、たった3分足らずにして。

『事件は終わった』

『そして日常が再開される。』

日常は、再開されるのだ。

すべてのひとに。

なんて平和なことだろう。なんて残酷なことだろう。

その「日常」は、事件前と同じ「日常」ではありえない。

『事件は終わった』けれど。

 

ここに描かれる6人の「その事件」が終わり、再開した「日常」

そのすべてが怖ろしいほどのリアルで震えが止まらない。

 

我先に人を押しのけて逃げた会社員は自分だった。

その会社員の母は自分だった。

切り付けられた妊婦は自分だった。その家族は自分だった。

逃げる時にケガを負って意識を失くした高校生は自分だった。

痴漢に「死ねよ」と言ったのは自分だった。

事件後、地下鉄に乗れなくなったのは自分だった。

犯人に立ち向かい刺されて死んだのは自分だった・・・。

動画を見て面白半分にコメントを書いて誰かを追い詰めたのは自分だった。

追い詰められて引きこもりになったのも自分だった。

ナイフを振りかざしたのも自分だった・・・。

 

いい話はあまり好きじゃない。

なんかいいひとばっかり出て来て、まあちょっと問題あったりするけど、

最後はなんかきれいに終わるみたいな、感動作みたいな話は好きじゃない。

そういうきれいに纏められた「〇〇賞」とか取る小説がちょっと苦手だ。

なのに、ミステリが鮮やかに解決される瞬間や。

陰惨なのに、どこかにかすかにかすかに見える光みたいなのに泣いたりする。

メンタルとか生き方どっかやばいんですかね?w

 

光が。見えた。

きれいにまとまったり、最後いい感じのラストとかあんまり好きじゃないんだって。

でも。

良かった。

この小説、ずっと自分があちこちにいて、本当に体感で心臓が痛かった。

どのエピソードも。

すごく、良かった。

最後「いい感じのラスト」にしてくれてありがとう。

なんか初めて心から思ったかも。

救われる、みたいな。救われた、みたいな。

陳腐な言葉しかなくてごめん。

そういうの嫌いなのに。でも、思っちゃった。

でも、ただのきれいごとじゃない、人間らしい感じにね。

二ヤリとしつつ、うるっとしちゃって「やられた!」みたいなw

 

ここには書かれなかった「事件」に関わったひと達。

見えないけれど、もっともっとたくさんのひと達が必ずいる。

それぞれの、一つ一つの人生を。その後を思いました。

その「事件」だって小説の中の単なる「架空の事件」なのに。

なんでこんなに刺さってるんだろう。

たぶんね。たぶんだけどね。

実際に、自分がそんな「事件」にいつ遭ってもおかしくないからだと思う。

ニュースを見て「ひどいね」「こわいね」「かわいそう」って思う。

けど、明日自分が当事者になるかもしれない。

だから、今日そんな事件や事故に遭わなかった自分や家族や友達に感謝する。

そして、遭ってしまった当事者や、その家族や友達の痛みを思う。

ここには、たぶん「あえて」書かれなかった「犯人」の心というものも想像する。

犯人がこの「事件」に至るまでの日々。弱さや葛藤や孤独。

「事件」前、「事件」後の犯人の家族の心も。見ないフリや後悔。

加害者や加害者家族にも「事件」後の「日常」は必ず訪れる。

 

最後まで読んだあと。

目次最初の「00事件」をもう一度読む。

たった4ページ。

そして絶句する。

この「事件」は、私の中で本当にあった事件と同じだ。

おんなじ、なんだ。

 

『乗客それぞれが日常を生きている。この瞬間までは。

ダウンジャケットの青年がリュックからナイフを取り出し、日常が非日常に変わる。

その境目を正確に見極められた人間はいなかった。』(00事件より)

 

【STORY】

年の瀬に起きた痛ましい〈地下鉄S線内無差別殺傷事件〉。
突然、男は刃物を振り回し、妊婦を切りつけ、助けに入った老人を刺殺した。
時は過ぎ、事件に偶然居合わせてしまった人々には、日常が戻ってくるはずだった───。
会社員の和宏は、一目散にその場から逃げ出したことをSNSで非難されて以来、日々正体不明の音に悩まされ始め……(「音」)。切りつけられた妊婦の千穂は、幸いにも軽傷で済んだが、急に「霊が見える」と言い出して……(「水の香」)。事件発生直前の行動を後悔する女子高生の響が、新たな一歩を踏み出すために決心したこととは(「扉」)。人生に諦念を抱える老人が、暴れる犯人から妊婦を守ろうとした本当の理由とは(「壁の男」)。など、全6編。大注目の『このミス』大賞&日本推理作家協会賞受賞作家が贈る、事件が終わって始まった、少し不思議でかなり切ない“その後”を描く連作短編集。